悲しい笑い

2016年末の現時点でJAPANでは、ゲイなどの性的マイノリティはテレビや巷で大っぴらに笑いものにされても許されているわけだから、夜明けは遠い。人種差別で言えばまだクンタキンテの時代だ。

ゲイの人は自分がゲイと人にバレないように、テレビでそういう低俗なネタが放送されているのを見る時、他のノンケ―ヘテロの人たちと混じって笑わなければならないのだ。笑わなければ自分がゲイだとバレて、今度は自分がネタにされてしまう。

自分が差別主義じゃないって言うノンケの人でも、「ゲイも個性だから認めるよ。これからも変わらず友達でいたい」などとずいぶん上から目線だ。いつの間にか上からになっていることに気づきもしない。

テレビにマイノリティを公言してる人がたくさん出てるから開かれた世界?ただの見世物じゃないか。何を言われても笑ってなきゃいけない。自虐ネタの連発。そうすればテレビで生き残れるから。みんなが喜んでくれるから。

でもそれを見た視聴者は子供の頃からそれが正しいことだと刷り込まれてしまう。

「あの人ゲイなんだって」
「えーまじ?(笑」
「なんかそんな感じあったよねー」

ゲイだからなんだっていうのだろうか???
かつて肌の色が違うから店から追い出されたり笑われたりしたという時代とやっていることは同じじゃないのか。

そして私は、こんなことを書くと自分も性的マイノリティだと思われるんじゃないかと心配する卑怯で汚い心を隠しながら、これを書いている。リアルの会話で「あの人ゲイなんだって」という話になった時、不快感をあらわにできる自信も無い。

世の中のすべての人が「悲しい笑い」で顔をゆがめなくても生きていけるようになるのはいつなのか。西暦3000年ぐらいだろうか。楽しみに待っていよう。